Home / ミステリー / 水鏡の星詠 / 命を繋ぐ分かれ道 ⑤

Share

命を繋ぐ分かれ道 ⑤

last update Last Updated: 2025-05-23 22:55:34
「話しかけなくて正解だったよね」

 リノアが小声で言うと、エレナは短剣の柄から手を離し、静かに頷いた。

「まあね。ヴィクターが何を企んでいるか分からないから」

 今は負傷者のことを何よりも優先させなければならない。負傷者たちの状態は、一刻を争う。

 タリスがクローヴ村へ救援を求めに向かったとは言え、そこに辿り着くには丸一日を要する。クローヴ村の援軍を待つには時間がかかりすぎるのだ。近くの集落へ向かい、すぐにでも馬車や薬、そして人手を確保しなければならない。

 ヴィクターのことは後回しだ。ヴィクターが何かを隠しているというなら、集落で手がかりが掴めるかもしれない。

 ヴィクターの不自然な行動は崩落の謎に新たな影を投げかけた。その答えを求めるように、リノアとエレナは前を見据え、集落へ続く道を急いだ。

 木々のざわめきが不穏に揺れ、風が森の奥へと誘うように吹き抜ける。

 ヴィクターは本当にただの木工職人なのか──

 鍛冶屋のカイルと言い、村の中には不穏な動きを見せる者がいる。村が内部から崩れ始めているのかもしれない。

 リノアの胸に村祭りの夜のヴィクターの声が蘇る。

《シオンが死んでから何か様子が変なんだよ。おい。リノア、エレナ、お前ら何か知っているんじゃないのか》

 その言葉が今、森の中で異様な重みを持って響く。

 ヴィクターは確かに、森の異変に危機感を抱いていた。

 そのヴィクターが自然破壊をするとは考えにくい。しかも彼の生業は木材と共にある。

 それならば、なぜ人影たちと行動を共にしているのか? 硬質化した草花や鉱石の異変――ヴィクターがそれに気づいていないはずがない。

 ヴィクターは一体、何を知り、何を探っているのか。

 森のざわめきが答えを拒むかのように深く揺れている。

 荷運び屋のタリスたちがクローヴ村へ救援を求めに向かった──だが、もしヴィクターが関与する何かが、すでに村へと波及していたのなら事態はさらに複雑になる。

 リノアは地図を広げ、集落への道を確認した。

「急ごう、エレナ。集落で助けを呼んで、負傷者を安全な場所に移動させなきゃ」

 この道を急げば、すぐにでも到達できる。

 二人は獣道を進み、集落への道を急いだ。

「何だか霧が薄いね」

 リノアが言った。

 まだこの地にも霧が残っている。しかし、それはクローヴ村のものとは異なり、薄くて地面を這う程度のも
Continue to read this book for free
Scan code to download App
Locked Chapter

Latest chapter

  • 水鏡の星詠   ひと気なき傾斜の先に ⑤

     アリシアとセラは街の中心部へ向かった。 曲がりくねった路地を抜けると、光と音が入り混じる広場が広がっていた。 屋台の声、往来の足音、笑い声と警戒の気配──騒がしさの中に無数の思惑が渦巻いている。 ヴィクターの姿は、騒がしい広場のどこにも見当たらない。 だが、それは想定の範囲だ。一人になる場所も避けるが、露骨に目につく場所も避けたがる。 アリシアとセラは歩みを緩めながら周囲を観察した。 セラにはヴィクターの特徴を伝えてある。とは言っても、恐らく服装や髪型を変えているのだろうが…… まず向かったのは、広場に隣接する古書店の横にある小さな屋根のある通路だった。 視界の隅にありながら、誰も注目しない居場所の隙間のような空間がある。 しかし、ヴィクターの姿はそこにはなかった。 アリシアは雑踏の脇にひっそりと並ぶ休憩用のベンチの一つに視線を向ける。 空になった酒の瓶が一本、斜めに転がっているのが目についた。 銘柄自体は珍しいものではない。だが、その容器を見た瞬間、アリシアの胸の奥に微かな既視感が浮かんだ。 ヴィクターが村で好んで飲んでいた、あの酒と同じ匂いが立ちのぼっている。果実酒の匂い。ヴィクターは強いお酒を好まなかった。 アリシアは歩み寄り、ガラス瓶の周囲に残る靴跡を確認した。誰かがここに腰掛け、時間を潰していた形跡── ヴィクターは心が揺れたとき、必ず酒に逃げる癖があった。それは村で何度も見かけた光景だった。 何かを考えたいとき── 決断する場面で耐えきれなくなったとき── ヴィクターは誰にも知られず、静かな場所で一人になりたがった。 痕跡は声でも姿でもなく、こうした残された静けさの中にこそ浮かび上がるものだ。「ヴィクター、どこかでお酒を飲んでいるんじゃないかな」 アリシアが呟くと、セラが反応した。「お酒を飲む場所なら限られてる。アークセリアが認めた場所でしか、お酒を提供することができないようになってるの」「それって、この付近?」 アリシアが問い返す。「うん。以前はどこにでも店を出すことができたけど、街が整備された時に一カ所に集められたの」 二人は言葉少なに、往来の流れに身を任せるように歩を進めていく。 この喧騒のどこかにヴィクターが潜んでいる。 アリシアとセラは広場沿いに並ぶ店舗を、一軒ずつ目を配りながら歩を進

  • 水鏡の星詠   ひと気なき傾斜の先に ④

     ヴィクターが身を潜める場所を突き止めたアリシアとセラは、お互いに顔を見合わせた。 言葉は交わされない。だが、その目の奥に浮かぶ光は次なる行動に移す意思を宿している。 埃の上に残された足跡。 周囲の様子を照らし合わせても、今この店の中にヴィクターが身を潜めているとは考えにくい。 おそらく、出かけている。「この後、どうするの? アリシア」 セラが小声でささやく。 足跡から、ここに誰かが出入りしているのは間違いない。 大きさも形も似通っており、店の前を何度も往復した痕跡が残っている。 歩幅には揺れがあり、時折、視線をずらすように動いた形跡も見受けられる。周辺に人がいないかを確かめてから入っていたのだろう。 今は誰の姿もない。しかし、ここで待つわけには……。見つかってしまえば、それだけで終わってしまう。 この地での調査も、これまで積み上げてきた計画も── 一つの綻びで、すべてが崩壊する。 沈黙の中、アリシアは小さく息を吐き、遠くを見つめた。 その眼差しは、この先にある変化の兆しを探し求めている。 ヴィクターの動向、ラヴィナの所在、そして揺らぎ始めたエクレシアの情勢── それらは互いに絡まりながら、少しずつ輪郭を浮かび上がらせている。「ひとまず、ここから離れよう」 そう言って、アリシアは埃の漂う空気を振り払うように歩みを進めた。「ヴィクターが単独で動いているなら、こっちから接触する手もあるけど、そうとは限らないからね。深入りするには、慎重すぎるくらいじゃないと。もし他に仲間がいたら、あっという間に取り囲まれてしまう」 セラは周囲を見渡しながら頷いた。 埃にまみれた痕跡と、足跡の交錯── それらは過去の記録であり、同時に未来への警告でもある。 二人は人気のない川沿いの路地を抜け、来た道を戻っていった。 足音は小さく、周囲の建物に吸われるように沈んでいく。 セラは無言のまま歩きながら、過去の記憶に指を伸ばしていた。 かつて、友人を守るために頼った情報屋── だがその男は、解決後に情報を他者へ売り渡し、信頼を踏みにじった。不利益を受けた友人が、その後、どうなったか──その痛みは、今も胸の奥に沈んでいる。 だからこそ、情報屋を全面的に信用することはできない。 あらゆる可能性を想定して動かなければ……「あの店が潜伏場所とは

  • 水鏡の星詠   密やかなる命の痕跡 ⑥

     リノアは土に刻まれた足跡を一つ一つ確かめながら、深い森の中を進んでいった。 枝葉が低く垂れ、身体を屈めなければ通れない細い道。その暗がりにも親子と見られる足跡が残されていた。 土を抉るように刻まれた足跡──これはゆったり歩いた足取りではない。何かに急かされるような、不穏な足取り。 リノアの視線が、ふと枝葉の隙間から差し込む光に引き寄せられた。 霧の奥で何かがほのかに煌めいている。 リノアは歩みを止めて、耳を澄ました。 水音が遠くでささやいている。 霧に滲むその響きは、地の奥を流れる記憶のように穏やかで儚い。 これは川の流れではない。もっと細くて優しい、柔らかな響きだ。木々の根を撫でるような優しい水の声── 近づくに連れて、リノアは煌めきが泉の水面に光が落ちて生まれたものだと気づいた。 水が揺れながら枝葉の間からこぼれた光を受け止めている。その淡い煌めきは森が呼吸しているかのように見える。 リノアとエレナは泉の縁に立ち、揺らめく反射を見つめた。 ひと息ついた空気の中で、エレナがそっと口を開く。「フェルミナ・アークは許可さえ取ることができれば入島できるみたいだけど、本来は誰も入れない禁足地のはず」 泉の穏やかさとは裏腹に、周囲の森はその存在を拒むような沈黙に包まれている。「森林保護活動をしている人たちなのかな」 リノアは泉の水面に目を落としながら言葉を紡いだ。 それならば人がいたとしても不思議ではない。「その可能性はあるけど、子どもがいたから違うんじゃないかな。こんな危険なところに連れてくるとは思えないし」 エレナの言葉をリノアは胸の奥で反芻した。 霧に包まれた禁足地──そこに子どもがいたという事実が世界の辻褄を音もなく崩していく。 ──彼らは一体、何者なのだろう。 ラヴィナの屋敷に住んでいる人たちだとしても、この場所に子どもが姿を現すのは、やはり不自然だ。 周囲には獣の気配が立ち込めている。 地を這う微かな音、小枝を踏みしめる乾いた響き── 木々の隙間から覗く瞳が、こちらをじっと監視しているようにも感じられる。 空を見上げれば、頭上を旋回する鳥の姿。フェルミナ・アークに上陸する前に襲い掛かってきた野鳥だろうか。 この地では、一瞬でも気を抜けば命を落とす危険さえある。 この環境を前にして、子どもを連れてくること

  • 水鏡の星詠   密やかなる命の痕跡 ⑤

    「私にも、あの影が何だったのか、よく分からないの」 前を歩くエレナが呟くように言った。 リノアの視線がエレナの背に吸い寄せられる。「ただ……見えたの。霧の向こうに。小さな背中が……ひとつだけ」 その言葉には見えたことを受け止めきれない戸惑いが滲んでいる。 何かを見てしまったことよりも、それが本当に存在していたという事実が、エレナの声を揺らしているのだろう。「それって、子どもってこと?」 リノアが問うと、エレナの肩がわずかに揺れた。「たぶん……」 息を呑むほどの静寂の中、風が遠くで渦を巻く音だけが響いている。 リノアは何かを言いかけたが、その言葉を飲み込んだ。視線だけが霧の奥に彷徨う。 エレナは立ち止まることなく、その小さな背中を追うように霧の奥を進んで行った。 霧が密度を増し、エレナの輪郭を少しずつ飲み込んでいく。エレナは足を止める様子はない。 リノアの目には、エレナが何か決定的に変わったようには映らなかった。 弓を射たときのエレナは、いつも通りの冷静さと判断力に満ちていた。 振る舞いも、雰囲気も変わらず、迷いのない手付き── 幻想に囚われていたとは到底思えない。 それでも、エレナの瞳は何かを捉えた。 このような場所に子どもがいるとは思えないのに…… 今、エレナは、その存在を自分の足で追おうとしている。 この霧の先にあるものが、幻なのか、真実なのか──エレナ自身にも分かっていないのではないか。「エレナ、待って」 リノアの言葉にエレナがようやく振り向いた。身じろぎひとつせず、肩をゆっくりと動かす。「この森の先に何かがあるような気がするの」 そう言って、エレナは再び森の奥へと目を向けた。その目には答えを探す意志が宿っている。「何かって、どういうこと?」 リノアが問いかけた。しかしエレナはすぐには答えず、霧が揺れる森の奥に視線を注ぎ続けた。「影から逃れた後、あの子を見つけて思わず追いかけてしまったの。背中しか見えなかったけど、あれは間違いなく人だった」 それすらも、影が見せた幻想だったということはないのだろうか。それとも本当に……「あと少しで手が届きそうだった。だけど突然、霧の奥から影が現れて……」 エレナは記憶の断片を手繰り寄せるように言葉を継いだ。「ほんの一瞬だけ、影の中に誰かが立っているのが見えた。大人だ

  • 水鏡の星詠   ひと気なき傾斜の先に ③

     二人は看板の擦れた店を目で探しながら、さらに奥へと歩を進めていった。 アリシアは足を止めることなく、地図に目を走らせる。「この辺りにあるはずよ」 アリシアは周囲に耳を澄ませながら抑え気味に言った。 セラとアリシアは歩調を少し落とし、周囲に目を光らせる。 壁沿いに並ぶ建物は隙間が広く、視界を遮るものが少ない。 上からは完全な死角となっているこの道も、下に目を向ければ意外なほど見通しが良い。 音も光も乏しい空間──その分、遠くで何かが動けばすぐに気づける構造だ。 二人は、怪しい人影がないことを確認しながら、慎重に歩を進めた。扉一つ、窓一つ、その奥に潜む気配に意識を尖らせる。 しばらく歩いていると、かすれた文字が刻まれた看板が、石壁に半ば埋もれるように現れた。 そこに記されている店名は『スクーラ』 アリシアは地図に目を走らせ、店名が正しいことを確認すると、無言のままセラに目を向けて頷いた。 目的の店に辿り着いたことを告げるには、それだけで十分だった。 かつて商いをしていた面影だけを残す古びた扉。 看板は風雨で掠れ、今となっては、この店が何を扱っていたのかも、よく分からない。その外観からは、誰も今も使われているなどとは思いもしないだろう。「どうやら、ここのようね。誰にも知られていないわけだわ」 アリシアは声を抑えながら、店の前で視線を細めた。 この場所なら、物の受け渡しも密談も、人目を避けて行うことができる。これ以上ない環境だ。 この場所は、人目から隔たるという意味では完成された環境が整っている。 建物だけではなく、空間全体に長い年月が蓄積されたような沈黙が漂い、壁は煤けていて、長年の風雨に晒されたせいか表面がざらついている。 石畳は微かな傾斜と共に、所々に凹凸が刻まれており、歩くたび足元に不規則な感触が伝わってきた。 夜ともなれば、川沿いの通りを照らすのは、高所に設けられた数少ない灯りだけになるのではないか。ざっと見る限り、近くに街灯はない。川沿いの小路を照らすには心許なく、歩くことを躊躇させられそうだ。 まるで地図からも心象からも切り離された別世界。セラが足を踏み入れたというのも頷ける。このような場所に来たいと思うわけがない。「誰かが、潜んでいそうね」 アリシアが隣にいるセラにささやいた。 周囲に人の気配はない。 

  • 水鏡の星詠   ひと気なき傾斜の先に ②

     アリシアは水路沿いの傾斜に沿って、店のあるはずの一角へと歩を進めた。 足元には、かつて水が流れていた痕跡が残るだけ。乾いた石畳には苔すら生えず、音のない空間が広がっている。 アリシアとセラは言葉を交わすことなく、乾いた水路を進んだ。「あれっ? 水の音?」 セラが意外そうな表情をして、ほんの少し首を傾けた。 遠くの方から水の音が聴こえる。 水と石の微かな呼吸──さざめく水の流れる音が乾いた石畳に反響している。心なしか、空気に湿り気を帯びているように感じる。 アリシアとセラは歩票を落として歩いて行った。 音が近づくにつれ、目の前に現れたのは、頭上で弧を描くアーチ状の石造りの橋。 二人が歩いていた乾いた水路が川に合流している。もう、この付近には水がないと思っていただけに意外な光景だ。 一部分のみ水が枯れている…… 通常,水の流れが変わらない限りは局所的な乾きなんて起こらない。 水源が何らかの形で脅かされているか、何者かが意図的に流れを遮断でもしたかのどちらかではないか。 アリシアは頭上に目を向けた。 地表には店舗が立ち並び、幾人かの人が歩いている。 上の世界と下の世界──その二つの空間は同じ場所にありながら、まるで異なる時間の層に属しているかのようだ。 今、アリシアたちがいる地下水路には人の気配はない。湿った空気と共に息を潜めた気配が辺りを満たしている。 日常のざわめきと人の気配、そして色と匂い。真上にあるはずなのに、その世界は遠く、遮断されているように感じられる。 二人は石造りの橋を潜り抜けて、川沿いの細い道を歩いて行った。 この道を私たちが歩いていることを地表の人たちは気づかないだろう。この道は地表からは死角となっている。上を歩く人々には、この道の存在すら意識されない。そのような造りになっている。「本当に……グレタってエクレシアへ向かったのかな」 セラが呟くように言った。「どうだろうね。少し怪しかったから、話半分に聞いておいた方が良いかも」 少しの沈黙のあと、アリシアは地図を見つめながら口を開いた。「ねえ、セラ。あの情報屋、どうやって情報を仕入れているの?」 アリシアの問いかけに、セラは視線を外して、少し口元を歪めた。「あいつ、お金で情報を買ってるの。何人か信頼できる人がいるみたいで。だけど口外してはいけない情報

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status